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作業BGMから

今日は一日中大西順子さんを聴いていたな。。。 きれいなメロディをきれいに弾くピアニストはたくさん居らっしゃるんですが、 大西さんって何かちょっと違って、音を置いていく感じっていうか、ちょっとぶっきらぼうな感じっていうか。。 大好きなんですよね。 うまく言葉で説明できないけれど。。。 一昨年前に突然パフォーマーとしてのプロミュージシャンを引退されました。 「自分のための演奏は出来ても、オーディエンスを満足させるパフォーマー、クリエーターにはなれない、むしろ研究者でいたい」(http://natalie.mu/music/news/75492)との事。 クリエーター(嫌いな言い方ですが)として自分がオリジナリティを持ってやっているのか? ずっと悩んできたんだと思います。 真面目な人が真剣に考えすぎての結果だと思います。 こうも書かれています。 「私が発表してきたものは果たして「自分の音楽」と呼べるものだったのでしょうか? 結局既に存在するものを自分というフィルターを通して焼き直すだけだったようにも思われます。」

ファンとしてはそのフィルターが大好きであったりするわけなのですが、ご本人はフィルターではなくオリジナルの部分への拘りが強かったのでしょう。 本人が思っている以上にオリジナリティがあった事は、受章された数々の賞が証明していると思いますが。。。 引退されたことが残念で仕方ありません。 いつだったか、誰だったか、何の作家だったか、何のメディアで目にしたのか、全て忘れてしまいましたが、写経の様に模写を繰り返す作家さんが、本当のオリジナリティっていうものは、こうやってただひたすら、模写、焼き増しを繰り返し続けることによってのみ、いつの日かようやく光のようなものが見えてくるくらいのものじゃないかというような趣旨の事をおっしゃっていて、そうだよなぁと自分の不甲斐なさに情けなくなったものです。

確かに天才と呼ばれるオリジナリティをもつものを作られる方は稀にいらっしゃいます。 ジャズピアニストではおそらくセロニアス・モンクなんかはそういう部類の方でしょう。  私などもそのオリジナリティに強い魅力を感じて憧れているのですが、憧れると同時にその段階でそういう部類の人たちとは自分は違うという事も悲しいかな気づいているわけです。成れないから憧れるわけです。

おそらく人一倍努力しての後天的秀才(これももちろん才能です)は別として、ほんとに稀にしかいない天才は、もちろん人並み以上の努力の上でしょうが、やってたらそうなった位のものなんだと思います。

作家性、困った問題です。

私もモノを作る身である以上、逃れられない課題です。 しかも前述の通り、残念ながら天才の部類ではございません。 せめて大西さんのいう既存のモノを通せる「自分というフィルター」が作れればよいのですが。。。。 それまでは、ひたすら焼き増しし続ける才能もない私は、トライ&エラーで試行錯誤しているかっこ悪い姿をそのままお見せしながら、皆様とモノづくりの楽しさを共有できればと思います。

過去の試行錯誤の具体例はまた次回!

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